2012年4月29日日曜日

国家とは何か・自営と自給の観点から(3)


しかしながら、私たちはこのような繋がりを認識し辛い。家族や友人、職場の仲間や同人サークルは、皆、自己を中心とした目に見える繋がりであり、これらの他者は、自分の生活に直接的なかかわりを持つものであるため、認識しやすい。自己に情報を与え、その感情形成に大きな影響を与えた人達であり、また自己の肉体的な成長に対しても、大きな力を与えてくれた。これらの身近な他者がいなければ、自己の成長、生存の持続はあり得なかった事である。またそれらの他者は、自分の将来においても、力強い協力者にもなる。自分たちが困った時、また助けを必要とした時、彼らとの繋がりが緊密であれば、その助けを得る事が出来るだろう。そして逆の場合、他者が助けを求めた時、それを助ければ、他者との緊密な関係は維持され、それは信頼となって返ってくる。そういう関係こそが、国家の基盤となるのである。
だが、それと同じぐらい、見知らぬ他者、つまり直接的なかかわり合いを持たない人間達も、自己に影響を与えている事を見過ごしにしてはならない。彼らがいなければ、私たちの生の存続は無い。彼らが様々な職業につき、その役割を果たしているからこそ、私たちは自分の役割を果たせ、その結果自己の価値を、つまりは給与などを得る事が出来、その生の存続が達成されるのである。もし見知らぬ他者がいなければ、私たちは彼らが生産するものを、自己によって生産しなければならなくなる。自分が学生なら、サービス業、製造業に従事しているのなら、農業を営む者がいなければ食料が手に入らない。またたとえ各種の職業に就く人間がいたとしても、学生時代がなければ、健全な、次代を切り開く人間は育たない。そういった観点から見れば、私たちは目に見えなくても、相互に関連した生活を営んでいるのであり、そしてそれによって共存をおこなっているのである。
国家とは、この共存社会をより持続させるという、一つの目的を持つ集団である。その手段は「分業」、「自衛」、「祭祀」など様々あるが、様々な歴史を踏まえた現在では、さらに「教育」や「金融」、「社会福祉」などの手段によってその集団を持続させようとしている。しかし共存社会を保つ手段として最も必要なのは、「分業」による「自給」と「自衛」であろう。

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