2012年5月1日火曜日

国家とは何か・自営と自給の観点から(4)


国家の発生は農耕による定住生活が行われ始めてからが定説だが、しかしその目的、つまり共存社会の持続の為の集団という意味でみれば、それよりもずっと以前から漠然と存在していた。例えば狩猟による食料採取をおこなう社会では、単独で行動するよりも、集団で行動する方がより効率が良かったはずであるし、もし獲物が見つからなくても、別の人間、すなわち女性などが木の実を採取すれば、それによって生存を持続できる。狩りにも道具が必要なら、それを制作する人間も必要になるだろうし、日本においては黒曜石の流通があったように、かなり広い範囲での人間の交流はあったようである。そしてこうした1つ1つの集団が次第に大きくなる事で、国家を形成していったのならば、その小さな集団は原形であり、そこには紛れも無く分業が行われ、自給と自衛が達成されているのである。
このような集団が、食料の持続的な供給方法、すなわち農耕を知る事によって、狩猟を捨て定住するようになった。共存社会の目的が、その構成員である各個人の生存持続にあるのなら、古代において自然と戦いながらそれを求めるのことから、自然を利用する事で求めるように転換していった事は、想像に難くない。
しかしこの転換は大きな問題をもたらした。狩猟社会においては移動生活であるため、物事に執着は出来ない。なぜならものを多く保有する事は移動の妨げになるし、彼らはあるものを利用する事を心得ていたのなら、特に定まったものがなくとも、その生活は困難では無かったろう。ところが農耕は土地を必要とする。その土地が広大であればあるほど、収穫も大きく、多くの人間が暮して行ける事になる。そして広大な土地だけでは無く、その土地を潤すための「水利権」もまた重要である。これは見過ごしにされがちだが、農業を営むものにとって見れば死活問題であり、現在も問題となるところが多い。誰もがこれらを求めるようになれば、そこに争いが起こるのは当然である。かつては現在のように、しっかりとした規範があった訳では無い。ただ、感情の赴くまま行動していた事は、日本神話からも伺え、それがゆえに、私は古代社会が必ずしも平和一途であったとは思わない。土地や水利の問題で争いは常に起こっただろうし、また自然災害などによって生産し失敗した時、共存社会を維持するために食料を得る方法として、最も単純なものは、よその集落から奪い取る事であったろう。そうでなければ、なぜ、あのような環濠を掘り、壁を作り、門をこしらえなければならないのか。そこには常に自衛意識があったであろうし、また非常の事態においてはまず自分たちの集団の維持を考える事に勤めた、人間の業が伺える。

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