2012年5月21日月曜日

国家とは何か・情報共有体(7)


 人間は多くの情報を生み出し、それを基に「新歩」していった。第2次大戦以降、多くの国が民主主義に移行をしてからというものの、局地的な争いはあっても国家間の潰し合いは原則的に回避される傾向にある。これまでの間、私たちの恐れる核兵器の応酬もないし、私が思うに、民主主義国家が世界の大勢を占めている間は巨大な戦争が起ることには懐疑的である。なぜなら民主主義国家における国民の要望は、家の外観よりも住みやすさを重視することであり、また民主主義における自由の拡大は、上から下へという単純な点と線による力の構造から、点と点が制限ない情報で複雑に繋がりあう構造によって多くの牽制を生み出すからである。ただ、現在の日本を含め、多くの国家がこのような牽制状態の中で、国民が窮屈な思いをしている事は指摘しておかねばならない。人口増という環境が土台となり、そして意志の自由は情報の多様的にさせ、個人の数と比例して増加し、人同士の行動を牽制しあうからである。その多様化の中でも、経済に重きを成す消費社会と「もったいない」などに代表される道徳的社会観は二極化して大きな影響を及ぼし、社会問題化している。
 私たちは皆、何かを生産し、分業をおこなう事で日々の糧を得ている。消費があるからこそ生産の余地があるのだが、その視点からみれば、「もったいない」や「リサイクル」は、生産、分業行為を否定しているとも考えられる。もちろんこの考え方は一面的であり、決して正しいものではないが、このような別の角度から見た情報をたびたび否定することで情報に派閥を生み出し、それが消費社会と道徳的社会観に現れている。物事の決定が一つしか出せないのなら、どちらかを選ばねばならないが、すべての答えをその一方に与える必要はない。事実を直視し、柔軟に対応しなければ、経済大国であった日本の方向性を考え直す事はできないし社会問題も解決し得ない。多くの多様的な考えを調整するのが政治なのである。
 そして現在は多様的な視点から問題を見ることができるため、問題が複合的に絡み合うことを見つけることができる。例えば、日本で廃棄される電化製品をリサイクルして途上国に流す。それによって日本製品を宣伝できるが、それが新規顧客の開拓に結びつくと言う単純な結論は信じがたい。なぜなら日本もそうであったが、国民が豊かであるからこそ持続的に消費財を受け入れられるのである。確かに安いものを購入し物が増えれば、一時的ながら国民の生活が発展する、しかし持続できない限り、途上国の国民の生活向上が需要増に結びつくとは考えられない。途上国が貿易などによって経済力をつけ、通貨価値を上げる事で初めて国民の生活は豊かになり、持続して他国の製品も買えるようになる。ただ、途上国の台頭、そして向上は日本に困った事実を突きつける事になる。まず一つは、日本も通ってきた道であるように、製品を模倣し、そこから進展することを自国内でおこなえるようになれば、外国製品は必要なくなる。そのことは技術と加工が売りの日本にとって影響は小さくない。それを防ぐために日本企業は現地と同化を図るが、現地生産に乗り出せば世界の工場としての日本の立場は薄くなる、これが2つ目。私はこの点は現在の日本の労働市場の問題に大きな懸念を及ぼしていると推測しているが、どうであろうか。3つ目は現在、途上国ほど資源産出国であるのだが、途上国の価値が上がれば日本はどのようにして原料を手に入れるのだろうか。原材料の上昇は目立った資源無き日本にとって大きな痛手ではないだろうか。現在のレアメタル問題などが、まさにそれであろう。そして4つ目が、外貨を獲得できない、また日本の経済価値が落ちれば、私たちはどこから食料やその材料となる肥料、飼料を手に入れれば良いのだろうか。

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