2012年2月10日金曜日

国民の良心と政治意識の成長(4)


私たちは自己の生存を持続するために、他者と共存するより他に選択肢はない。そしてそのためには共通の基準という範囲は絶対に必要となるが、それは自己欲求の達成のためではない。というものの、欲求は私たちの天分であり、また生きるための原動力でもある以上、それ自体を否定する事は出来ず、私たちはそれを飼いならす為に基準が必要となるのである。
では、この基準は誰が定めるのか。それは常に代表者として選ばれた人間である。その代表者が力によってその座を得ようが、また民衆によって選ばれた者であろうが、その人間が共存社会を背負う資格を持ち、基準を定めるのである。その代表者が王や皇帝、また貴族など世襲によって自動的に継続し、その一握りの人間しか資格を持てない政治体制を、便宜上、「専制」と呼び、その社会の全ての人間が資格者になりえ、また選ぶ事のできる政治制度を「民主制」と呼ぶ。
では、この2つの政治制度の最も異なる点は何であろう。それは専制下において基準などの情報は常に、一方的に「与えられるもの」であり、民主制はそれが双方向、つまり「与える」「与えられる」関係であることである。結論を急げば、それ故に専制とは「知の独占」であり、民主制は「知の解放」である。この違いを私たちは軽視しがちだが、しかしこの事にたいして考えを深めれば、現在の日本における国民の政治意識が、なぜ問題たりえるのか、そしてそれが憂慮すべきものであるのかを知ることが出来る。
主権者という語がある。日本国憲法ではその主権者は国民であるが、この主権者とは、私は法などの基準の制定に「関わる」事ができる資格のある者と定義したい。なぜ「関わる」であって「決定」でないのか。それは私たち国民が主権者であっても、原則的には法基準の制定を「選択」する権限はないからである。ここで「原則」としたのは、もちろん住民投票、また国民投票などの方法によって、基準の制定を選択する事はできるが、しかしそれは通常使われず、私たちは自分たちが選びし代表者である議員にその制定を委託しているからである。専制政治において、その主権者はもちろん皇帝や王、そして貴族である。その国家における一切の決定権が皇帝に集中しようが、基準の制定権に貴族がかかわれる以上、彼らを主権者の範疇に入れる事は出来よう。ただ、専制政治下において国民は保護されるだけの存在であり、その代償として国家を支える力を供出するが、基準の制定などに関わる事は出来ない。よって彼ら国民は基準などの情報を、ただ「与えられる」だけの存在となる。
では民主政治においてはどうであろうか。私たちが守るべき基準も、議員がそれを選択した者であるならば、それは「与えられた」情報であるといえよう。しかし私たちはその議員を選ぶ事が出来、また議員に対して様々な意見や意志を述べたりする事を許され、さらには私たち同士が政治的な意見を述べる事を拒否することは出来ない。それ故にその情報の送受は専制政治と異なり、双方向であるといえ、私たちは「与えられる者」でありながら、「与える者」でもあるのである。専制政治においてはそうは行かない。専制政治において主権者以外の国民は、原則的に「与えられる者」でなければならず、それ故に国民が主権者に対して情報を自発的に与える事は出来ない。主権者が情報を求めれば、それに応じなければならないが、国民が自分の欲求や政治的意思を述べる事は不可能であり、それこそが専制政治の安定を脅かす行為であるとして処断されるであろう。だからこそ、専制政治においては国民の様々な自由を奪い、また行動を規制する基準が存在するのである。主得kん者に対して反抗的な意志を見せれば、それは本人の生存の持続すら認めない結果になるだろうし、戦前の日本において新聞、集会条例や、治安維持法など、主権者の安定のために、様々な規制の法律があった事は歴史を知るもの、皆知っての通りであろう。そしてそういった行為は、「知」を独占する者であるといってもよい。知を独占する事で、主権者は常に「与える」側として振る舞う事が出来、国民は知に触れる事が無いため、常に言うなりになるしかない。現在までの政治史と教育史を比較すれば、政治的解放と知の解放が平行している事に気付く。専制政治下において教育は常に主権者のものであったが、民主政治下において教育は国民固有の権利であり、それは平等に行使される。そして国民は教育によって平等に知に触れる事が出来、その結果様々な機会を得、そこで認められれば誰でも代表者になる事ができるのである。そしてそれこそが国家を多様的な発展と成長へと向かわせる動機となり、力となるのだが、現在の日本国民はそのせっかく得た力を放棄して逆の方向に、すなわち知の独占を許し、再び基準を定める人間を永続的なものにしようとしている。

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