2012年2月29日水曜日

平和的な変化を求めて(3)


しかし何よりも寛容さや平静さなどの魅力、特に良心的なものこそ、他のどんな力よりも勝る事は言うまでもない。このような能力を持つ王が国家を治めれば、国民はその王に対して自然と敬意を払い、そこに国家の秩序と安定が、そしてそれを土台とした国家の成長と豊かさがついてくる。それ故に民主主義ではなくとも、理想的な国家は叶えられることである。しかしその持続が短期であり、不安定なものである事は前章で述べた。しかし民主主義国家においても、為政者を「与える者」として考えれば、それは専制政治の王や皇帝、貴族と同じであり、民主主義下においてもその指導者のリーダーシップを説くのに、専制国家の王や皇帝、将軍を引き合いに出すことがあるのは、情報を「与える」側の人間の役割は、政治制度とは関係ないことを表している。ただ、民主主義国家と専制国家では、専制国家は国家の安定イコール専制者の安定となり、それがゆえに世襲や身分が認められ、民主主義国家では為政者の地位保全と彼の地位持続とは無関係であり、世襲の自動性は認められず、身分も原則的には存在しない。人間がその持つ欲求によって絶えず変化を起こすのならば、自動的な世襲や身分といったものによる安定は変化を阻害するものであり、その押しやられた変化の蓄積は、やがて堰を切ったように安定を押し流し、それは戦乱や混乱によって消化される。しかし民主主義国家は誰もが王になる機会を持ち、また王を選ぶことが出来るため、変化を受け入れるのには国民が王となる人間を、国法に従った方法で平和的に選択するだけで済むのである。それゆえに民主主義国家は、変化を受容し、国民の幸福を求め続けるには最良の政体であるはずなのである。
ところが、どの民主国家を見ても、現状ではこのような理想的な状況とはいえない。その理由として多くを上げる事は出来ようが、きりが無いので、その本質だけを述べれば、やはりそれは現状の安定を求めるが故の変化の蓄積である。この誰もが知らず知らずのうちに抱く欲求は、とても厄介な代物であり、またそれを押しとどめることは難しい。誰もが自分の若さを維持し続けたいように、自分の頑健な肉体をその死まで持続させたいように、そのような安定の欲求は、変化に対する抵抗なのである。多くの国民がそれを望めば、つまり自分の権勢、自分の立場や権利、保障、さらには自分の生活をも安定させたいと思えば、それは国家的な変化に対しての抵抗になる。それがゆえに民主主義国家においても、その指導的な立場に一度身を置いたもの、そこで成功を収めたものは、次代の成功者によって変化が起こり、自己の立場を覆さないように、かつての専制君主がおこなったのと同じ手法で身を守ろうとする。それは自己の立場を護るため味方を多く作り、また生活を持続できるように財をため、その死まで自己の思い通り行くように子供までをも管理する、そのような自己安定の持続のための、当たり前とされる様々な手段が、民主主義国家を民主主義国家たらしめなくするのであり、かつての専制国家同様、変化に対して堰を作り、知らず知らずのうちに貯めているのである。現在の日本はそれが決壊寸前であり、決壊を防ぐためには私たち自身で堰を開け、変化を放出しなければならない。そしてその流れを管理するためにも、私たち自身の手で、その流す量、流れる道筋を決定するため、基準を作らねばならぬのである。
ただ、一度安定に根ざした人間は、変化を行わせまいと全力で守り通そうとするし、立場を維持するためにどんな力でも利用しようとする。そのような人間にとって、私がこの稿を書く事も迷惑千万なことであり、有害なものと見なすであろう。ただ、よく考えてもらいたいのは、現在のままでは確実に日本には大きな変化が訪れる。そしてこれが「与えられた」変化であれば、敗戦の時の公職追放や農地改革同様に、現在の日本から恩恵を受けているものに対しての攻撃は「与えられる」だろう。自己の安定を護るためには、その攻撃者を味方にすべく、幾ばくかを捧げればよいと思っているかもしれないが、その攻撃者を納得するだけのものを捧げられるのはごく一部の人間だけであるし、過去の占領されし国民がどのような待遇であったかを考えると、攻撃者の保護など全く当てにならないものである。このことは、日本が朝鮮半島や中国においてどのような植民地政策を行ったのかを知れば、おのずとわかるであろうし、アメリカ人が日本で、また沖縄で、そしてシベリアにおいてロシア人が日本兵士をどのような境遇に置いたのかに、その答えは現れている。占領者など、どの国民もその行動は変わらない。ただ、自分たちのために、有利に占領国とその国民を使い果たすだけである。ましてや日本国債の最大の保有者が中国になれば、彼らは前の戦争によって受けた被害をも上乗せして、日本から収奪するであろう。日本など天災多く、国土も狭く、かつて「黄金の国ジパング」として栄えた資源も、今はそれほど期待できないのなら占領する価値はそれほどない。アメリカにとって、日本は橋頭堡になりえるだろうが、中国やロシアにとってみれば、無価値な国家に等しいかもしれない。ただ、現在残されている財を収奪すればそれで事足りるのである。もしかしたら溢れ続ける中国人民を受け入れるための国家へとなり下がるやも知れぬ。それを考えると「与えられる」変化によって、現在の日本から恩恵を受けている人たちの安定は確保されるのか疑問ではある。

0 件のコメント:

コメントを投稿