2012年2月22日水曜日

平和的な変化を求めて(1)


望もうが望むまいが、現在の日本の状況は、私たち国民に対して大きな変化を則し、その選択の時期は刻々と近づいている。もちろん、ここで変化を受け入れないという選択もあるが、将来へ多くの負債を築きあげ、また貨幣価値が国際間で連動しているのなら、国際社会のほうがそれを許さぬかもしれぬ。実際日本の通貨価値は、国際間の中では特異点であり、著しい不平等の中心であると思われても仕方がない。そしてもし通貨管理国にでもなれば、私たちが今、手にしている権利の恩恵は間違いなく消えうせるであろうし、食料を初めとする原材料を外国に依存している日本人にとって、通貨価値の崩壊はそれらの調達が難しくなることを意味する。軍事における中国や北朝鮮の脅威が話題に上り、確かにそれは否定できないが、しかし、私がこれらの国の指導者で日本を虜にしたいと思うならば、一兵も使う必要はない。ただ日本との貿易をストップさせる、もしくは日本よりも高い価値で外国から食料を買い、日本が手にする事が出来ないようにすれば、兵など使わなくともそれで事足りるのである。このような状況に陥ったとき、現在の日本人ならば我が身を守るために国家を分裂させることなど、いとも簡単に選択するであろう。どんな国家でも「与えて」くれるのなら、その有利な方を選択するかも知れないが、占領国がどのような待遇になるのかは、私たちは経験済であり、そして現在でもそれは経験中でもある。しかし私は日本を愛し、また自分たちの子孫のためにより良い日本へと成長させたいという願いがある以上、そのような状況に日本を陥れる選択だけは避けたい。そしてこのことは現在日本で生活する国民の、誰もが心の底で願うことではないだろうかと信じたい。ただ、そのためには、私たち自身で変化を受け入れ、現在よりも割り引いた生活を行わねばならないが、私たちが共に成長し、良心を発揮すれば、このような苦難はいとも簡単に乗り越えられるはずである。そして、変化を自ら受け入れるためにも、まず新たな基準を整え、それを私たち自身で制定する、つまりは憲法を改める、それこそが最良の選択であると考え私をこの稿を書いている。
とは言うものの、私たちに将来が見えない以上、変化をすんなりと受け入れる勇気はなかなか湧いてこない。苦境に立ち入っている人間ならばともかく、ある程度安定した生活を送っている人間には、変化とは現状を、自分の生活を破壊する恐怖が湧くはずである。一方で現在の日本の状況がわかっていれば、変化を受け入れることには賛成するが、それを現在自分が持つ力によって有利に引き寄せたいと思う人間もおり、彼らにとっては変化はただ自己を有利にするジャンプ台のようなものである。どの国家の歴史を見ても、変化を受け入れるには、苦境に立ち回復したい国民、安定を守り通そうとする国民、また変化を自分に有利な方へと引き寄せたい国民による争いは避けられないものになる。そしてその思惑と力加減から、歴史は常に全く違う答えを与えるのである。

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