2012年3月26日月曜日

憲法を変えるため、どうすれば良いのか・1・2期に分かれる運動(3)


多くの意見が集まり、それがテーマ別に分別されれば、さらにその意見を統合する作業が行われる。多くの意見には重複するものもあれば、また表現的には違えどその意義や趣旨は同じものもあるであろう。公的機関はそれらの意見の整理をおこない、そしてそれを発表しなければならない。それはもちろん議会に対してでもあるが、同時に私たちに対してもおこなう義務はある。意見はテーマ別に、そして各条文は選択肢としてまとめられるが、その提案に付帯する意見も、公論を助けるものとなるため、なるべく多く公開するべきである。それは政府が刊行する白書のような形式として、なるべく一家に一冊は配布されるべきであると思う。またインターネットによってそれを参照できるのならば、刊行物を配る必要はなく、費用も抑える事は出来るはずである。
これらの集まった意見を基にして憲法の草案を作るが、それは議会の仕事となるであろう。議会において新しい憲法の各章を定め、その条文は3つほどの選択肢に絞るべきである。様々な意見を少数の選択肢にまとめるこの作業こそ、新たな憲法の制定作業において最も時間がかかり、最も論議が必要な所となるはずである。ただ、私たちはこの作業を国会議員に任せねば、国会議員はその存在意義を失うだろうし、それを踏まえて私たちは有識、良識ある人間を議員として選出せねばならない。
しかし、選択肢からの意志決定を議会のみによって行い、そこで1つの草案にまとめ、その可否だけを国民に問えばよいとも思うだろうが、しかしそのような一元的な方法では、党派性とそれに付随する利益誘導が必ず議員の精神に根を張り、国民の無気力を招くのは、今までも政治史を見れば確実な事である。国民の代表者である議員が憲法の条文を起草する事は、立法府としての権限として認められるが、しかし新たな憲法の制定は、新しい国家の誕生であり、それが国民の選択によって行われるべきなら、条文に対する選択肢をいくつか用意し、複数回の国民投票において多数決で決定されるべきである。
憲法の条文を一時に決定するのは、その条文が百を越える可能性がある以上、それは時間的、また労力的にも不可能な方法である。それ故に憲法の決定は各章別に、何回かに分けて、全ての条文を国民に検討してもらい、選択するのが有効的である。このような方法だと、その選択の決定に矛盾が生じるという恐れがあるかも知れない。しかし選択は国民の意志であり、そこに矛盾が生じるのならば、それは条文の表現に大きく問題があるのであり、そこには意志を反映させる細かい調整が必要とされるのである。例えば国家において軍は欲しないが、安全保障のための力は欲する場合、国民は軍を拒否するだろうが、それよりも制限された力を持つ現在の自衛隊のようなものならば容認するだろう。安全保障のために力を保有するという意味において、この本質は全く同じだが、その細部が、表現が異なれば、国民のそれに対する感情もまた異なり、矛盾しているように見える事でも、その求めているものは全く違うのである。それ故に、国民の選択の決定に矛盾があるように見えたとしても、それが何か探り、新たな選択肢を提示する必要はある。

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