2012年3月24日土曜日

3月24日 街頭演説

先週の土曜日にはじめての街頭演説をおこなって、1週間、3回目にして今月最後の街頭演説になります。しかし今回は、少し風邪気味であり、また今週は仕事の後にも参加しなければならない地域の公務も多く、そうした疲れもあってか、あまりうまく演説する事が出来ず、2時間ほどで切り上げました。
 公開するべきか、ためらうところが有るのですが、拙い演説で何かしら得るところのある人がいればと思い、恥をさらすつもりで・・・。

 今月の収穫としては、演説によって多くの人に話しかける事で、何を訴えるべきか、自分の中でも少しずつ明確になってきた事です。私は、新しい憲法を国民の手で制定する事で、日本の未来に成長を、そして私たちの時代を私たちの手で築く事で、国民としての自信、そして政治意識の向上が得られ、そうした事がより良い日本を、そして未来を約束する、そしてそのためには様々な意見を持つ国民個人が、既存の思想、また宗教の枠にとらわれず、憲法を変えるためには同じテーブルにつく必要がある、これを訴えなければなりません。
 憲法論議は盛んにおこなわれていますが、現在の日本では仲間内だけの、また特化した問題だけのものに過ぎません。しかしもし憲法を変えるのならば、それは国民投票による選択と決定が必要である以上、まずは「どう憲法を変えるか」というところにスタンスを置くのではなく、「憲法を変える」という決意で国民一体とならなければなりません。日本の将来を考えると様々な方法論が、保守にも、革新にも存在するはずです。しかし将来の事を正確に知り得ない私たちは、その方法がどのような結果を生むかわからない、だからこそ話しあい、多数者の覚悟と責任を、またどれぐらいの人間が不満に思っているのかを投票によって明確にする、少数者の権力のみによって政治を動かすのではなく、主権者として国民が政治に参加する、このダイナミズムこそ民主主義なのではないでしょうか。もっとも恒常的にこうした選択をおこなうべきではないのですが、その事案が国民の生活に大きな影響を及ぼす場合、また国家の明確な範囲である憲法にたいしては、私たち自身で選択をおこなわなければならないと思います。

 こうした事を訴えるため、私は私なりに国家とは、政治とは、法とは何かを考え、それはいまだ未完の「時代は変わる」に記してきましたが、私の思想はあまりにも広範囲であり、しかもそれが互いにリンクしているため、手短に説明するのが難しい現状です。こうした苦しさは、きょうのわたしの演説にも表れています。

 他者に理解をしてもらいたい時、手短に、簡潔である事は必須です。そしてそのためには、今、常識とされている事をわざわざ説明する必要はないのですが、しかし私はこうした常識を見直す事が現在の日本には必要なのではないかと痛感しています。そしてそれを訴えると、手短に、簡潔には出来なくなる、ジレンマです。

 

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