2012年3月31日土曜日

憲法を制定するため、どうすれば良いか・2・国民の信頼を基とした明確なルール作り(1)


新たな憲法を制定する事は、新たな国家の創造であるといっても過言ではない。それ故に日本における全ての主権者は、この政治的行動に参加しなければならないが、どんな政治運動も、それが大きくなればなるほど混乱しやすいものである。
しかし、これから日本が大きな変化を向かえるのであれば、それはなるべく大きな混乱、つまりは血が流れ、破壊が行われ、日常生活が乱されるようなが無いようにしたいものである。そしてその変化を憲法を変える事で自主的に受け入れるのならば、その運動は民主主義制度のもと、健全なものでなければならず、それがゆえに運動の明確なルールは必要である。
政治的運動は、いつの時代もそうだが、純粋な政治的行動と私欲の実現行動が表裏となる。
純粋な政治的行動は、常に抑制によっておこなわれる。それはなぜかといえば、このような行動をおこなうものは、政治的な実現がその国家や共存社会の人間の信頼を得ねば成り立たない事を知っており、そして信頼さえあれば理想の達成が困難でないと信じているからである。ゆえに彼らは日常生活を乱す事なく、言論によって、著述によって、そしてまた集会や討論会などの対話によっておこない、そして必要なときには恣意的な行為をおこなうが、しかしそれはただ単に数の力を見せるだけの、静かなものにとどまる。しかし、このような活動は自己の実現の機会であり、私欲をかなえるチャンスでもある。それが理想をかなえるための、数の力を集めるための方便、つまり自身が行動の指導者などになろうとしているうちはまだよいが、そこに私欲をおりまぜ、例えば資金を懐にいれ、また物を奪ったり、騙したりするなど他者の信頼を踏みにじり、さらには暴力行為や破壊などによって、自己の鬱憤晴らしを行えば、他者の信頼を失うのと同時に純然たる政治的運動の正当性を失わせ、終わりへと導く事になる。その実例は、日本においては安保、学生闘争において、また近年の保守、革新、NPO法人からボランティアに至るまで、あらゆる政治的行動の場面で度々目にすることであり、それが国民を政治的な行動に疑いを抱かせ、それから引き離す原因ともなっていると私は感ずる。
最も国民を政治から引き離すのは、運動家によってだけではなく、統治者側の計画、またメディアが娯楽を求めるために、種を蒔いたからである事を、私は否定しない。陰謀論を信じようとまでは思わないが、しかし歴史が必ず勝者によって書かれるものである以上、そこに隠された出来事があるのも否定できないだろう。学生闘争なども、本当に左翼学生だけが各争乱、事件の端緒を開いたのかか否か、そこには当事者の入り乱れた主張があるし、政府などの公的機関が治安の名の下に情報を集める、もしくは鎮静させる手段として様々な手法をとってきたのは、戦前の日本からも、現在のアメリカ、中国、北朝鮮からも良く知ることが出来るはずであり、実際にそれを行っていない国はないだろう。国民が政治から距離を置く理由に、明確な答えが出せないのならば、やはり時代を変えようと志す人間は、これらの事を肝に銘じておくべきであるし、だからこそ私は全ての国民にその選択への参加を求め、その恐れの確率を少しでも下げたいのである。

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